大西騎手が引退

幸騎手を背に坂路で追い切るエーシンビ

 97年サニーブライアンで皐月、ダービー2冠


 97年にダービーを制した大西直宏騎手(45)=美浦・フリー=が引退することが7日までに明らかになった。同騎手は6日、JRAに引退届を提出。今年に入って騎乗数が激減したことに加え、調教師免許試験に2年連続で不合格となったことが、騎手生活にピリオドを打つ決意を固めさせた。97年にはサニーブライアン皐月賞、ダービーの2冠を制したベテラン騎手は今後、千葉県匝瑳(そうさ)市の日本馬事専門学校「ジャパンホースアカデミー」で特別講師として競馬に携わっていく意向だ。

 大西騎手「体力的にはまだまだやれるが、調教師試験で結果を出せず、騎手として満足行く成績を残せなかった。何年か前からそろそろ(引退)と思って時間をかけて出した結論なので、悔いはないです。思い出に残るのはやはりサニーブライアン。あれがなければ今の大西はなかった」




エーシンビーエル躍動 4F52秒5

 「朝日杯FS・G1」(10日、中山)へ向け、闘志を全身ににじませながら、エーシンビーエルが栗東坂路を躍動した。抑えきれないほどの手応えで加速をつけて駆け上がる。ラスト1Fで軽く肩ムチが入るともうひと踏ん張り。4F52秒5-37秒8-12秒5。スピード感にあふれていた。
 幸の感触もいい。「ちょっと時計は速かったけど、動きはよかった」。中1週となるが、元気な姿に目を細めた。デビューからコンビを組んで3戦2勝。「最初から楽しみにしていた。まだ底を見せていない」と能力の高さを評価する。2戦目の敗因も冷静に分析。「外枠で押し出される形になって引っ掛かってしまった。でも、そんなに差はなかった」と振り返った。
 当初は翌週のさざんかS(16日・阪神)へ向かうプランもあったが、2歳王者決定戦に照準を合わせた。湯窪師は「オーナーから“登録の用意はしておいてくれ”と言われた。幸騎手に聞いても“行きたい”と言ったからね」と理由を明かした。もちろん、参加するだけではない。「前に壁を作れば距離は大丈夫。能力はあると思うからね」と期待をかけた。陣営の熱い思いを受け、ビーエルが大舞台に立つ。




オースミダイドーは6枠11番

 日本中央競馬会(JRA)は8日、第58回朝日杯フューチュリティステークス(G1、10日、中山)の枠順を発表。デビューから3戦全勝のオースミダイドーは6枠11番に入った。 




サッカーボーイがシンジケート解散

 ナリタトップロードなどの父として知られる種牡馬サッカーボーイ(牡21)の種牡馬シンジケートが解散。今後は、社台グループの所有馬として、社台スタリオンステーション荻伏で種牡馬を続けることになった。

 同馬は父ディクタス、母ダイナサッシュ(その父ノーザンテースト)という血統。87年の阪神3歳S(GI・芝1600m)を8馬身差で圧勝。期待されたクラシックは結果を残せなかったが、88年中日スポーツ賞4歳S(GIII・芝1800m)に勝ち、88年函館記念(GIII)でも当時の日本レコード(1分57秒8)で圧勝すると、88年マイルCS(GI)で2つめのGI勝利を挙げた。その年の有馬記念(GI)3着を最後に、11戦6勝(重賞4勝)の成績で引退している。

 90年に種牡馬入りして以降、ヒシミラクル(菊花賞-GI、天皇賞・春-GI、宝塚記念-GI)、ナリタトップロード(菊花賞-GI)、ティコティコタック(秋華賞-GI)、キョウトシチー(東京大賞典)など多くの名馬を輩出。2日にはアイポッパーステイヤーズS(GII)を勝ち、健在ぶりをアピールしていた。




血管肉腫でヒシアトラス死亡

 JRAは7日、ダート路線で重賞3勝を挙げたヒシアトラス(牡6歳、美浦・中野隆厩舎)が死亡したと発表した。

 同馬は10月の南部杯2着後、11月のジャパンCダートに向けて調整を進めている最中に病気が発覚。検査の結果、血管肉腫(血管内皮が腫瘍性に増殖し、全身の筋肉内に転移する悪性腫瘍)を患っていることが判明。6日に安楽死となった。現在、同病に対する有効な治療法は見つかっていない。

 同馬は05年平安Sで重賞初制覇。今年はマーチS、エルムSと重賞3勝を挙げた。通算成績は36戦10勝(うち地方2戦0勝)。総収得賞金は4億2825万9000円(地方含む)。